今日、下関の田園地帯をドライブしていて、田んぼのあぜ道に溢れんばかりに曼珠沙華が咲いていました。
曼珠沙華というと思い出す曲が2曲ありまして、1つは山口百恵の「曼珠沙華」。もう一曲は浅川マキの「港の彼岸花」です。
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百恵ちゃんと浅川マキとは、わけのわからない組み合わせですが、どちらの歌も曼珠沙華の花を「自分」に例えています。
浅川マキの「港の彼岸花」は「酒は大関こころいき~」にそっくりで、どっちがどっちの替え歌なのか、昔から解けない謎のひとつです。
悲しい花なら何の花?真っ赤な港の彼岸花 ~浅川マキ「港の彼岸花」~
百恵ちゃんの「曼珠沙華」は『マンジューシャカ』と読みます。この歌は好みではないのですが、この曲がタイトルにもなっている山口百恵のオリジナルアルバム「曼珠沙華」は、俺の思うに彼女のベストアルバムです。百恵ちゃんにはコアなファンが沢山いるので、語るのはやめておきます。
2012年、20年以上務めた会社を辞めた俺は、しばしば自分がどこから来たのかを考えるようになりました。
子どものとき、一度だけ親に連れて行かれた自分の本籍地を思い出しました。
そこは福岡県と大分県の県境の近くで、どんどんと山の中に入っていくと、突然水子地蔵が多量においてある場所があり、そこで車を降りました。
「ええーーーっ?ここが本籍?呪われてんじゃねーの?」
違いました。そこから山の中へ入っていくのです。割と険しい道をしばらく登ると、突然巨岩が立ちはだかっていて、その岩をくりぬいたトンネルがあるのです。
そこをくぐると突然山の空気が変わりました。
俺はさっき見た山ほどの水子地蔵が怖かったのでびくびくしながら通りましたが、そこは突然陽が射して巨岩がところどころむき出しのきれいな景観の谷でした。
そこからさらに岩肌の山道を登って行くと突然平地が顕れました。
平地といってもそこは完全にぐるりと崖に囲まれた、閉ざされた空間で、巨大な杉木立が崖に添ってそびえていました。
絶壁の削れた部分に小さな祠のある神社がありました。
「ここがあなたの本籍よ」
「ここ・・・。俺は八つ墓村か、悪霊島か!」
結構登ってきましたが、崖の上にはチェーンと滑車が付いていてさらに奥へと行けるのです。
俺は高所恐怖症だし、母も一緒だったので諦めて下山しました。
さて、それが自分の本籍地に行った最後です。もう、何十年も前の話し。
なぜそこが本籍なのか、まあ色々な話があるのですが、そういうものは人の数だけあるわけで、割愛します。
さて、2012年、両親が心配で退社後すぐに帰省した俺は、折を見つけてそこに行きたいと思っておりましたが、ふと、行きたいと漏らしたら、両親も一緒に行きたいというではないですか。
さすがにあの山に登るのは無理なので、一族の菩提寺に行きました。ちょうど秋の彼岸の頃でした。
そのお寺の境内には、白い曼珠沙華が見事に咲いておりました。
そういえば中津には白壁を朱に塗った赤壁寺なる呪われた歴史を持つお寺があるのですが、ここは赤いはずの曼珠沙華が全部白い。
白い曼珠沙華を初めて見たので、ちょっと感動しました。
帰りに新しくできた近くの道の駅へ寄ったら、白い曼珠沙華の苗が売っていました。
うーん。うちの祖先の花だし買って帰ろう!と、あるだけ買ってさっそく実家のプランターに。
それから3年。それ以来花は一度も咲かなかったのです。
2014年の9月、親父が喀血して、東京にいた俺の携帯に主治医から電話がかかりました。
医者から直接電話がかかったので、覚悟をして、「私はすぐに帰ったほうがいいですか?」とまず聞いたのですが、大丈夫だと思いますとの返事。
母に電話したら、帰ってくるなと父が言っているというので、しばらく様子を見ることにしました。
結局帰省したのは2015年の1月でした。
いったんは退院した父が、再び入院することになったので帰省しました。
その時は帰省するのがすごく怖かったのです。
俺もいい年だし、親ももうどちらも日本人の平均寿命を過ぎているので、それなりの覚悟はしているはずなのですが、帰省する前日、突然胸がドキドキして、そんなことは俺にはめったにないので、なんだかパニックになってしまい
「あー、俺ってまだこころの準備ができてねえじゃねーか。まだ、嫌だよ!もう少し子どもで
いさせてくれよー」
と、一人で泣いてしまった。
53にもなるオヤジが、情けない話ですよね。でもそれで何かがすとんと落ちたのです。
覚悟ができました。以来、東京ー実家間を行き来しているのですが、会うたびに親父は痩せていきます。
3日前、実家の玄関先のプランターに彼岸花のつぼみが突然顔を出しているではないですか!
彼岸花ってすごいですよ。一日で茎が50cm位伸びて、2日で花を咲かせるのです。
相当な力ですね。すごい生命力。
3年ぶりに咲いた白い曼珠沙華。何となく嫌な予感がしなくはないですが、花はとても綺麗です。
花そのものには末香くさい感じは微塵もなく、とても優雅で凛としています。
母はとても喜んでいますが、親父は何も言いません。
もしかしたら、先祖が「お出で」と呼んでいるとでも思ってんじゃねーかな?と推測しています。
今日は親父と2人で郊外に行ったのでした。
田んぼの曼珠沙華が乱れるように咲いています。
そこに、なんと桜も咲いていました。こうなると、冒頭の山口百恵と浅川マキのような、わけのわからない組み合わせで、情緒は吹っ飛び、世も末な気分になるというものです。
ふと、親父が言いました。
「わしが子どものときな、近所のおばあちゃんが腎臓が悪くて、腎臓には曼珠沙華の根が効くというから、田んぼに掘りに行ったら、曼珠沙華の根はふかーくまで球根でつながっていて、掘るのはすげー大変なんだぞ!それでも一生懸命掘ってな、持って行ってあげたら、それはそれは大喜びで、たいそう感謝してくれたよ」
「ふーん。曼珠沙華って毒花じゃねえんだ、薬になるんだ!」
「それが、3日後に死んでしもた」
「ええっーーー?それって、親父・・・」
不謹慎だけど、爆笑してしまった。
真っ赤な夕陽にカモメ飛ぶ
幸せでしたあのころは
夢に見るたびふるさとは
日ごと夜ごとに、遠くなる
~浅川マキ「港の彼岸花」~
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