毎年9月、戸越八幡のお祭りには、必ず出かけます。
近所には、徒歩圏にいくつもの八幡さまがあって、9月になると大抵2週間にわたり、あたり一斉にお祭りを迎えるのです。
どこに行っても街中に祭り提灯が下がっていて、とてもいい感じです。夏も終わるころですから、少しさみしいころなのです。
むかし、戸越八幡の坂上に、竹の家という小さな食堂がありました。20年くらい前のことです。
いつも閉まっていて、一体いつやっているんだろうと、ずーっと思ってたのですが、ある時、土曜日の朝11時ころそこを通ると、開いているではないですか!
間口1軒、約6畳ほどの小さな食堂です。入り口にショウケースが有って、アジの開きの焼いたのと、煮物などが、2つ3つ、ぽつりと置いてました。
思った通りのたたずまいで、ためらわずに入り、アジの開き定食を注文しました。
2人のおばあちゃんがやってました。多分ご姉妹だったと思います。
その時、お二人は80才前後だったのでしょうか。お二人とも小さくて、いつも笑顔を見せて下さった。
でも、当時は多忙なサラリーマンだったので、結局、土曜日の昼しか開いていないのです。毎週土曜日は行けないですが、それでも随分通いました。
俺の大好きなのは鍋焼きうどんで、確か400円くらい。よそで食べると今と同じ1000円くらいだったので、格安でした。
こういうやつです!
今、アマゾンで売っていることもびっくりですが、これで鍋焼きうどんを出す食堂が、まだ都内にありますか?ご存知の方は、是非教えてください。
ところで、そこには昭和の食堂らしく、壁にテレビが置いてあって、俺が行く時間、土曜日の昼過ぎには、たいていNHKの連ドラの再放送がついていました。
一度、ドラマの最中に伺ったとき、今日はもう何も残っていないと言われました。うどん玉くらいはあるかな?と思い、
「何でもいいよ?うどん、具がなくても、素うどんでいいよ?」と、俺。
そうしたら、自分たちがお昼に食べようと思っていたそうめんがあるから、それを食べる?と聞かれました。
嬉しいですが、遠慮していたら
「いいのよ。そうめんくらい、茹でるのすぐだし」と笑いながら言ってくださったのです。
そして、出てきたものは、なんと、鍋焼きそうめんでした!
俺がいつも鍋焼きうどんを食べるから、きっと、脳内で合体したのでしょう。
鍋焼きそうめんなるものは、後にも先にもそれっきりです。
本当にぐつぐつ煮込んであるのです。
というのも、俺は卵が完全に煮えていないと食べれないので、いつもそうお願いしていたのでした。
だからと言って、そうめんをぐつぐつ煮込むと、すごいものがありますよ。一体、何を食べているのか、よく分からなくなってきました。
その頃俺は、フランスから帰国したばかりで、しかも、人生が変わるほどの失恋を体験して失意の底にあったのですが、プチプチ切れる煮込んだそうめんを食べているうちに、意味もなく感情の堰が壊れそうになったものです。
人の優しさに触れたのと、なぜそうめんを鍋焼きにするのかしら???というそぐわなさに、爆笑と号泣が爆発しそうになったのでした。
まあ、そのような絵柄は俺には似合わないので、気分を変えて、長年気になっていた営業時間を初めて聞いたのです。
その答えは、予想を覆すもので、なんと、営業時間は朝の5時からお昼までだったのです。
つまり、俺はいつも時間外に来ていたのでした!もう、早く言ってくれればよかったのに。それ以来12時を超えて行くのはやめました。
鍋焼きそうめんは、もう堪能致しましたからね(笑)
でも、朝の5時に、お客さん来るのかな?
おばあちゃん曰く、
「このあたりはもともと町工場や港湾で働く肉体労働者が多かったので、みんな朝が早いから、朝は忙しいのよ・・・」
「・・・あと、年よりは早起きだからね」
この通りは、戸越八幡宮のお祭りのとき、戸越銀座通りから戸越公園駅まで、ずーっと祭り提灯が下がっていて、とても情緒的です。
一度、母が田舎の九州から送ってくれた海苔を持っていきました。
関門海峡の海苔だと言ったら、太平洋戦争末期に疎開先の九州から、生まれたばかりのお子様を連れて、命からがら関門海峡を渡ったお話を聞かせてくださいました。
1時間以上お話をしてくださった。戦争の話は両親から耳にタコができていますが、お話しはまるでドラマのようで、聴き入ってしまいました。
さて、そのお子様のその後の人生には、お母様を超える壮絶なドラマがあったのですが、以来、行く度にそんな話しを聴かせて下さったのです。
おばあちゃんのお子様のお話が、あまりに壮絶だったので、一度、おそるおそる、今はお元気なの?と尋ねたんです。
「あら、知らなかったのね。じゃあ、それを先に言わないといけなかったわねー(笑)
坂下で、整骨院をやっているのよ。
みんなに助けられたから、自分も人を助けたいと、開業したのよ」
おばあちゃん、意図していなかったでしょうが、話しうますぎです!
その後、竹の家さんはもう跡形もなくなりましたが、俺は以来20年、故障があるたびに、ご子息の整骨院に通っています。
お母さんとこんな交流があったとは、俺はひとことも喋ったことはないのです。戦後70年ですから、ご子息もだんだんお母様の年に近づいて、今では同じ顔になってきましたよ。ご自分では気づいているかな???
「思い出話しばかり、ごめんなさいね。年よりの話しは退屈でしょう?こんなのばかりなのよ」
いいえ。俺が誰かも知らなかったのに、ありがとう。
今ではもうお話しを聴くことができないですね。でも、毎年、ゆらゆらと揺れる祭り提灯を見るたびに、あなたたちお二人の顔と、鍋焼きそうめんを思い出していますよ!
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ぞうちゃん、今度一緒に鍋焼きうどん食いに行こうぜ。
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>っさん
おう!行こうぜ。
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