市川崑監督『病院坂の首縊りの家』のブログを書くのは二度目です。
最近、オヤジ友だちが七十年代の市川崑版金田一耕助シリーズに興味をもったらしく『女王蜂』を観たそうです。
よりによって『女王蜂』から観はじめるとはなんと通好みと思いましたが、彼は映画を観る前に俺のブログを読んでくれたようで、映画を理解するのに非常に役立ったと言ってくれたことに、とても気をよくしました。
これじゃああまりに手前味噌ですが、そのときふと思ったことは、俺なんかは根っからの横溝正史ファンで、公開当時も映画を観る前に原作を読んでストーリーを把握してから映画館に行ったものですが、それでも混乱したということです。
友人に次に観てもらいたい表題の『病院坂の首縊りの家』は、非常に家族関係が複雑ですが、物語りの根幹がその人間関係にあるので、きちんと理解しないと誰が誰なのかさっぱり解りません。原作に至ってはストーリーが次世代にまで続くので、さらに複雑です。
劇中、草刈正雄扮する黙太郎が金田一耕助に法眼家の家系図を見せるシーンがあります。それは会話だけでは複雑すぎて家族関係を表現しきれないからですが、これは観客にとっても同様で、このようなものを劇中に見せられても理解できるわけがありません。
実は原作中にも家系図が登場します。
俺も物わかりが悪い方ではないですが、原作にしろ映画にしろ、字面を追うだけでは無理なのです。
ところで、最近、古谷一行版金田一耕助TVシリーズ『病院坂の首縊りの家』がDVD化されて、遅ればせながら初めて観たのですが、申し訳ないけどこれは酷い。なんと、結婚できないはずの二人が結婚してました、、、叔母と甥がです。
種違いの弟の子どもだって甥は甥ですよね。血が半分に薄まると叔母と甥は結婚できるのでしょうか????というか法の問題ではなく、しなくないですかい?
さらにTV版で原作から書き換えられた家族関係の設定において、誘拐された由香里と敏男は原作を踏襲して身体の関係を持つような演出をしていますが、あなた!、これじゃあ『悪魔が来りて笛を吹く』じゃないですか!あり得ません。滅茶苦茶です。パロディです。観なきゃよかった。
と、TV版『病院坂の首縊りの家』を酷評してしまいましたが、これほどまでに「法眼家」「五十嵐家」の家族関係は複雑で理解できないのです。
さて、市川崑映画版『病院坂の首縊りの家』に戻りますが、これも原作とは家族関係を変えています。しかしこの変更はさすが市川崑大先生です。
この変更によりストーリー全体が原作とは根本から主旨が変わり、法眼琢也の生家である「風鈴の家」が文学的意味を持ち、さらに犯人とこの一族の悲劇がより劇的に美しいカタルシスを生み出しました。
ただし問題は映画を一度観ただけでは決してその境地には至らないことです。
これがこの映画の評価を下げています。この映画のラストシーンは金田一耕助物すべての映像作品の中で最高に美しく感動的です。※厳密にいうと短いエピローグがあるので本当のラストシーンではないです
是非もう一度映画を観て車夫の三之助と一緒にむせび泣いてください。
そこでいいことを思いつきました!市川崑映画版『病院坂の首縊りの家』の法眼家・五十嵐家の家系図を作ったのです。
以下に貼り付けておきますので、よーくご覧いただいて、完全に相関図を把握してから今一度映画の鑑賞をしてみませんか?
ここでちょっと鑑賞の手引きを申し上げましょう。
弥生の死んだ夫である法眼琢也の歌集の題名は『風鈴集』ですが、その中で度々登場する「風鈴の家」とは、実は彼が生まれ育った生家のことです。
法眼家二代目鉄馬は正妻との間に子どもができなかったこともあり、宮坂すみを愛人として、原作では池之端に“しもたや”を建てて宮坂すみを住まわせました。琢也はそこで妾腹の子として誕生し、成人するまでそこで育てられました。
東北の南部地方生まれの鉄馬は軒に南部風鈴を飾り、琢也は自分の家を「風鈴の家」と名付けました。
後に琢也は正式に法眼家の養子になりますが、その条件として父親の鉄馬の妹、千鶴の娘の弥生と結婚しなければいけませんでした。琢也からみると叔母の娘ですから従妹です。
映画では弥生は佐久間良子が演じていますからとても美しい女性ですが、琢也は妾腹の子というレッテルから法眼家三代目になるためには弥生と結婚するしかありません。弥生はもっと確実に、そうするより仕方なく琢也と結婚しました。つまりこの夫婦間に真の愛など存在しなかったのです。
そこで琢也は自分の生い立ち同様に「風鈴の家」に愛人を囲います。それが山内冬子(萩尾みどり)です。
琢也が冬子と出会ったとき、冬子は未亡人で亡き夫の連れ子の敏男(あおい輝彦)を育てるシングルマザーでした。
琢也は冬子に自分の母親のイメージを投影したかもしれません。琢也は冬子を「風鈴の家」に住まわせ自分の生い立ちを再現させます。冬子との間に小雪(桜田淳子)が生まれました。
敏男からすると琢也も冬子も本当の両親ではないのですが本当の子供のように育てられました。妾宅とはいえ「風鈴の家」は二代にわたる孤独な人間たちの心のよりどころとなりました。琢也は愛人の息子、冬子は孤児、敏男も孤児、小雪は愛人の子。
南部風鈴は東北南部地方の特産品です。法眼家は南部藩の出身ですから、風鈴とは法眼家の象徴、家というものの象徴です。
風がそよぐ日は琢也が来てくれる、、、冬子はそう信じていました。
南部鉄の堅牢な存在感とはうらはらな風鈴の音色は琢也を含む「風鈴の家」の四人の心に癒しをもたらす唯一の存在だったことでしょう。
ところが東京空襲がすべてを破壊してしまいました。敵国の無慈悲な攻撃によって「風鈴の家」も焼失。琢也も病院坂の法眼病院と共に戦災に遇い、死亡してしまいます。
琢也も風鈴の家も失い失意の底にあった冬子、敏男、小雪の三人は東京を離れ疎開しますが、その後冬子は生まれ故郷の南部へ旅立ったあと、何故か一人で法眼家を訪ねます。
冬子は意を決して琢也の正妻の弥生に会いに行ったのです。
ところが運悪く弥生は留守でした。弥生の代わりに琢也と弥生の娘の由香里(桜田淳子、小雪と二役)が冬子の相手をします。
冬子はその時に初めて由香里と対面しました。
由香里はそのとき十六歳。多感な年ごろですが、何一つ不自由のない裕福な家庭のお嬢様です。すぐに冬子が亡き父琢也の愛人だったと理解して、冬子を激しく罵ります。
冬子は正室の娘由香里が自分の娘小雪と瓜二つであることをそのときに初めて知りました。
実は冬子は或る理由があって断腸の思いで法眼家を訪問したのでした。
そこで見たものは自分の娘と瓜二つの由香里です。すでに破滅に瀕していた冬子は由香里と会ったことで、さらに深い絶望の淵に沈没してしまいます。そしてそのまま、琢也が死んだ病院坂の旧法眼邸に行き、そこで首を縊って自殺してしまいます。
以来、旧法眼邸は『病院坂の首縊りの家』と呼ばれるようになったのです。
敏男と小雪は法眼家とは関わることなく、つまり由香里とも会うことなく、それぞれの場所で成人します。
映画はここから始まるのです。ここからはどうぞ映画でお楽しみ下さい。
上記のことは劇中に回想シーンとして登場するのですが、やはりそれだけでは不十分です。
金田一耕助は事件の早い時期から、琢也の作った詩集『風鈴集』を取りざたします。それは生首が風鈴に見立てられて、琢也の作品と思われる短歌の書かれた短冊が下がっていたからです。
その後も何度か琢也の短歌が問題になるのですが、映画では曖昧なのですが、そもそもの琢也の短歌は妾腹だった自分の生い立ちを詠んだものなのです。
原作で金田一耕助が法眼家を訪れたときに弥生が聞かせた琢也の句を紹介しましょう。
風鈴は哀しからずや
今宵また
父は来たらず、母は語らず
この句の父とは琢也の父の法眼鉄馬、母とは宮坂すみですが、映画ではそれが混乱します。琢也の句はそのまま冬子、敏男、小雪の境遇にも一致するからです。
映画では琢也のことはあまり詳しくは語られていません。既に他界しているので回想シーンに数回登場するだけですから、映画的には共感の薄い存在になっています。
しかし、そもそも何故この悲劇が起こったかを考えると、これは琢也が自分の生い立ちという歴史を繰り返したからです。
以前書いたブログで俺は琢也もまた悪魔的男性だと書きましたが、琢也は抗いがたい運命の力にどうすることもできなかったのかもしれません。
そう考えると、琢也はふと川端康成の『雪国』の主人公とイメージが重なります。
劇中、金田一耕助と黙太郎が肩を並べて夜道を散歩するとても印象的なシーンがあります。金田一が南部に風鈴の謎を探しに旅立つ前日のシーンです。
「今頃は僕の生まれたところはもう雪だろうなあ」
月のない夜道は藍色に暗く染まっていますが、金田一に語られた故郷の雪のイメージが、夜の底を白くしていくのです。
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