横溝正史原作市川崑監督 獄門島「あの人も、強かったんやないんでしょうなあ」

獄門島

1977年8月27日公開

原作:横溝正史

製作:東宝映画

配給:東宝

監督:市川崑

主演:石坂浩二

市川崑監督、石坂浩二主演による金田一耕介シリーズのブログは、「病院坂の首くくりの家」「女王蜂」と遡って来たので、今回は「獄門島」です。

 

この「獄門島」は横溝正史ミステリー文学の中では最高傑作の一つです。

 

市川崑の1977年の映画「獄門島」は、犯人に関しては原作に忠実ではないのですが、ほぼ原作通りのトリックを使用しているので、ネタバレになることは書きません。

 

というのも、原作「獄門島」は、美しい妙齢の3姉妹が次々と俳句に見立てて殺されるという、実に横溝正史らしいおどろおどろしさと絢爛な様式美があるのですが、その殺人と犯人には、あっと驚くトリックが惜しげもなく使用されていて、とても本格的なミステリーだからです。

 

さて、市川崑の映画「獄門島」ですが、なにが素晴らしいって、そうそうたる出演者の面子です。

 

先ずは佐分利信(さぶり・しん)です。戦前から活躍なさっていた大俳優です。小津安二郎監督の『お茶漬の味』にも出演なさっています。亡くなったのは1982年ですから「獄門島」は晩年に近い作品で、他には『日本の首領』、『砂の器』、『悪霊島』などがあります。

 

”大向こう”(おおむこう)という言葉をご存知でしょうか?これは歌舞伎の舞台正面の3階席や桟敷のことで、その辺にいる客というのは文字通りの通(つう)、何度も足を運んでくれる客なのです。

 

歌舞伎で「〇〇屋!」と声を掛ける客たちです。

 

あれは声を掛けるタイミングも、誰が〇〇屋なのかもそれこそ大向こうでないと分かりません。

「たやっ!」これが成田屋だったりしますからね。

 

「獄門島」の佐分利信には、歌舞伎のタチ役者のような、大向こうから掛け声がかかりそうな大物感がありました。この方は随分と大根役者と言われたようですが、「獄門島」では対大向こう的な演技が素晴らしくいいのです。

 

「無残やなあ・・・。兜のしたのきりぎりす。南無」

 

これは芭蕉の句ですが、これに見立てて2番目の殺人が行われたとき、佐分利信はこの科白をつぶやきます。この2番目の殺人ではこの映画の最高に素晴らしいシーンが続きます。

 

それは、太地喜和子扮する分鬼頭(わけきとう)の女将が、殺人現場で突然ヒステリーを起こすシーンです。無残な殺人の前で凍りつく島民たちの前で、突然狂ったように笑う太地喜和子の演技の素晴らしいこと。

「ぎゃはははははは。

 

とんだ道成寺だこと!
あーあ、そういえば雪江ちゃんのおっ母さんのおさよさんは、女役者ってはなしねえー。そして、道成寺の鐘入りがお得意で」

 

ここで草笛光子扮するおさよが道成寺を演じる場面がフラッシュバックします。いつもながら、市川崑の見事な映像テクニックです。

おさよは鐘の中で殺害されている雪江の母ですが、すでに他界しており、生前は田舎芝居の看板女優で、道成寺はおさよの十八番だったのです。

「親の因果が子に酬いってことなの、狂ってるわよ、みんな狂ってるわ!」

太地喜和子もお亡くなりになりましたが、現在、彼女の演技を堪能できるDVDがなかなか存在しません。残念ながら彼女のような女優さんはもういないですね・・・。市川崑は彼女の魅力を100%引き出しています。彼女を見るだけでもこの映画は価値がありますよ。

さて、道成寺とは、かなわぬ恋に身を焦がした清姫が、道成寺の鐘の中に隠れていた恋する男(安珍)を、蛇に化身して鐘に巻き付き、鐘もろとも焼き殺すという、壮絶な情念を描いた伝説がもとになった芝居です。

能、歌舞伎共に大変人気のある演目です。能・歌舞伎では、この安珍・清姫の伝説は伝説として、とある白拍子(遊女のこと)が実は清姫の化身だったというお話です。能・歌舞伎共に、鐘の中での装束(着物)の早変わりがクライマックスなのです。

この芝居を知っていたら「獄門島」の殺人のトリックも解けるのです。敢えてそこで、道成寺の鐘入りを映像として挿入するのは、ミステリーとは伏線の文学であるということを映像化する、市川崑ならではの見事な演出です。

 

さて、もう一人「獄門島」で素晴らしい演技を披露していたのは、本鬼頭(ほんきとう)の当主嘉右衛門役の東野英治郎です。

この方は言わずと知れた水戸黄門役で有名です。

俺の年代ならば知らない方はいないでしょう。映画の公開時は恐らくまだ水戸黄門をなさっていたのではないでしょうか。七福神みたいな恰好で「かっかっかっ」と笑う水戸黄門は、若い方でもご存じ
でしょう。表現は古いですが”好々爺”とはこのことです。

 

その水戸黄門さまが「獄門島」では、見事に真逆の役どころです。おさよ同様に既に他界しており、回想の中でしか出演しません。

東野英治郎扮する鬼頭嘉右衛門は島で一番の網元です。網元の頭領がどのような人物像かは、原作には詳しく描かれています。

漁師は就業中に生命の危険性が伴っている男稼業です。いまそんなことを言うと前時代的と怒られますが、構いません。当然、気性も荒く、かつ豪快。嘉右衛門はそんな漁師達を仕切る頭領ですから、さらに豪傑です。

横溝正史の話には必ずこのようなタイプの男が登場します。

金、権力、精力のすべてを備えた捕食者としての男です。そしてこのような男には必ず社会的なモラルが欠如している設定になっています(笑)

この役を水戸黄門さまが演じているのが「獄門島」の面白さの1つです。

嘉右衛門はおさよの所属する劇団のために島に芝居小屋を作り、そこでおさよに道成寺を演じさせていたのです。

ところが、嘉右衛門の跡取り息子が、妻を亡くして男やもめになってしまい、旅芸人のおさよに惚れて、妊娠させてしまいます。

これが嘉右衛門の大誤算で、”終わりの始まり”だったのです。

「おさよを俺の後添い(のちぞい)にさしてくれんか、このとおりや」

おさよの妊娠が発覚した跡取り息子が嘉右衛門親父に頭を下げて、結婚を許してくれと頼む込むシーンです。

嘉右衛門の前に土下座する息子。それを見下す嘉右衛門は、いきなり下卑た爆笑をもって、文字通り一笑に付します。

「ぐぁあはははははははははっ

 

お前も本鬼頭の跡取りや。夜が寂しいんやったら、女役者でも女郎でも買うてヤったらええ!

後添い(のちぞい)なんぞと、辛気臭いことを考えるなあっ!・・・ゴルァ、飲めい!」

ああ、黄門さま・・・、何て事を!役者って本当にすごいです。

映画「獄門島」は佐分利信、太地喜和子、草笛光子、東野英治郎のすさまじい存在感が映画そのものの非現実性をはるかに凌駕しています。

元の話が何だったかも忘れてしまうほどです。映画ではこの面々とは別に、司葉子、大原麗子の悲哀とリリシズム溢れるストーリーラインがあって、まるで「獄門島」は2本立ての映画を一度に観るようです。

 

一つ家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月

3番目の殺人はこの芭蕉の俳句に見立てられますが、この俳句は「獄門島」で知りましたが、さすが芭蕉、名句です!

どのような状況で、遊女と一つ家(山中はずれにある小さな宿でしょうか)で寝屋を共にしたのかは謎ですが、この句の”萩と月”とは、自分(芭蕉=男)と遊女の見立てでしょう。

萩は男か、はたまた遊女か・・・どちらがどちらなのでしょう?

これは見る人の立ち位置に任されているのでしょう。わびさびと、もののあわれと色香が同居する素晴らしい見立ての俳句です。


こう考えると、「獄門島」で、犯人はなぜこの句に見立てて殺人を計画したか、実は非常に奥が深いのですよ。

市川崑・横溝正史ファンの皆さま方々、是非それを考えてみて下さい!

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コメント

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    色々アメブロ見ていたらこのブログにたどり着き読ませていただきましたo(*^▽^*)o~♪ 人のブログは色んな発見がありますね♪)今日はいい日でしたぁ!私はハワイに住みながら頑張ってます!よかったら仲良くしてください!

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