1986年の夏、それまでずっとアメリカに行きたかったのに、なぜか突然フランスに旅行して、パリに2か月近く滞在してしまいました。
その頃は、文化服装学院で服飾の勉強をしたいと思っていたのですが、初年度の費用が大学以上にかかることにぶっ飛んで、さすがに親には頼めないので、会社を退職して土建屋でバイトをして、夜は夜でまた違うバイトをしておりました。
小金が溜まると、すぐに旅行に行きたくなる悪い癖で、当時一番安かったスリランカ航空のパリ行き1年のオープンチケットを買いました。
当時の恋人は都合で2週間しか予定が取れなかったので、別々に行って別々に帰るというスケジュールで、どちらもパリに行ったことがなかったので、ふと見たパリの写真のアレキサンダーⅢ世橋がとてもきれいだったので、〇月〇日〇〇時に橋の真ん中で会いましょう!と告げて、単身スリランカ航空(エアーランカ)に乗りました。
ホテルは現地で探せばいいやなんて、無謀な旅行もいいとこです。
今から考えると、フランス語もできなかったのに、1986年といえば俺は24歳だったので、若いって凄いなあと思います。
このエアーランカは、成田―香港―コロンボ乗り換え、コロンボ―ドバイ―ミラノ―フランクフルト―パリという、まるで各駅停車みたいなフライトで、パリに着いた時に、俺のバッグは見事に壊れて、どうしたらこんなにバラバラに壊れるのか、多分何かの機械に挟まって引きちぎれたんだと思いますが、中身も飛び出した状態で、俺の荷物一式がカートに入れられておじいさんが持ってきました。
さすがに文句を言ったら、帰りをアップグレードしてくれることになりました。
しかし、とにかく既にバッグとはいえない状態に破れていたので、空港で布製のスーツケースを買ったのですが、確かロンシャンといカバン屋でしたが、それが超巨大!人が入るほどの大きさです。
そして真っ赤。フェラーリのような、気が狂ったような赤でした。
まあ、選んだのは俺なんですが・・・。ど派手なので、目だって、分解するほどにぞんざいには扱われないだろうという意図があったのです。
さて、帰りはビジネスにアップグレードしてくれたので、パリ―フランクフルト―ミラノ―ドバイ―コロンボまでは天国だったのです。
コロンボ空港は、これが国際空港だろうか・・・?と思うような凄いところで、コロンボ―香港―成田行きに乗り換えるために、トランジットにいたのですが、どうやら全てのフライトが遅れているらしくてもの凄い数の人が溢れており、そこを猫や鳥が自由に行き来していました。
コロンボ―成田のフライトは「遅れ」と出ているのですが、それこそ何時間待っても何のアナウンスもなく、とうとうしびれを切らせてカウンターに行くと、凄い人だかりだったのですが、俺のチケットがビジネスだったために、俺だけが空港のレストランに通され、何故か小海老のカクテルが出てきました(笑)
そして、クルーがやってきて、飛行機が壊れた!ので、いつ飛べるかわからないと言われたのです。
何ともすごい話ですよね。そんなこと、聞いたことがありません。俺以外の人はまだ何も聞かされていない状態なのでした。
で、俺はどうすればいいのですか?いつ飛べるかわからないフライトをここで待つのは嫌ですよ?と言ったら、空港のホテルを用意するので、ゆっくり泊まって待ってくれと言われたのです。
ところが、そのホテルが「うーん、無理かも・・・」という感じだったので、俺はクルーに、ホテル代は自分で出すので、もう少しましなところに泊まって、どうせならあなたの国を観光しますので、飛行機がまともに動き出したら、ホテルに知らせて下さいと言ったのです。
ホテルを予約してくれるというので、コロンボ市内のホテルリストを見て、ヒルトンなどの大手ではないローカルの5つ星のホテルにしました。確か1泊が2万円位だった気がします。
俺にはとても高かったのですが、最初に見せられた国際空港のホテルが3つ星にもかかわらず、安全面でも絶対無理だったので、こういう国では5つ星に泊まらなきゃと、高いのを承知で選びました。
どうせ1泊だろうと高をくくっていたのでした。結局、飛行機が飛んだのは5日後!4泊もしてしまったのですが、その時には知りようがなかった。
そして真っ赤なスーツケースをもらい、スリランカに入国しました。
30年前のスリランカは、凄かったですよ!先ず空港の前がサーカスみたい。
どこに何があるのかさっぱりわからないだけではなく、意味もない現地人がわさわさ湧いています。
先ず空港からタクシーでコロンボ市街までいこうとドライバーを捕まえたら、3000円と言われたので、たけーなと思いながらも乗ったのですが、いつまで経っても車を出そうとしないので、なんで出さねーんだ?と聞いたら、相乗りの客を待っているというではないですか。
それで3000円も取るのか?舐めてんじゃねーと捨て台詞を残し、ちょうどそばにいたバスに乗りました。
どこ行きか分からなかったんですが、コロンボ?と聞いたらニコリと笑ったので、まあいっかと乗りました。
料金を払えと手を出されたので、日本円で約10円の札(ルピー)を1枚渡しました(笑)
それで乗れと言われたのですが巨大なスーツケースは荷物入れに入れられました。
しかしそのバスがまたすごかったー!
皆さんも時々TVなどでご覧になるような、すべての窓に箱乗りして、天井にまで人が乗るほどまでに、現地の人が乗ってきました。
俺は一番後ろに座っていたのですが、真っ赤なスーツケースはどこかに入れられて所在不明、車内は、郁恵ちゃんの「ぎゅーぎゅー詰のバスの中ー♪」なんてもんじゃありません!
外人俺だけ。とにかく俺のことを見てニターと笑うのですが、現地の方々は体臭ではなくて、なんだか甘い匂いがして、熱帯なので暑くて、気分は悪くなるし、箱乗りしてる人は多分何人かは死んだかもしれないと思うほどに縦横に揺れるし、ぶっ飛ばすし、まるで生きた心地がしませんでした。
外は熱帯ジャングル。俺はどこに来ちゃったのだろう?1時間以上乗ってました。3000円払ってあのタクシーにいればよかったと何度思ったことか。
大体、なんでこんなことになったのかも理不尽だし、1時間以上も走っていて10円しか払っていないというのもふざけた話だし、それにしても、このバスはどこに向かっているのかさえもさっぱり分からなく、何を聞いてもただニターっと笑われるのも不気味で、あまりの非日常に、だんだん可笑しくなってきました。
さて、どこかに着きました。皆がクモの子を散らしたようにバスからいなくなりました。
残されたのは俺と巨大な真っ赤なスーツケース。
冷静になって周りを見ると凄いところです。とにかく現地人がわさわさ居て、俺を見ています。
とりあえず喉が渇いて死にそうだったので道端に棚をおいて飲み物らしきビンを並べているスタンドでコーラとジンジャエールを足して水で割ったような意味の解らない飲み物を、またまた10円で買って飲んでいたら、目の前を象が走っていきました。
ホテルはどこに?誰に聞いても帰ってくるのはニター。第一、ここはどこだー???コロンボじゃねーんじゃねーか?
車は交通ルールはないも同然にぶっ飛ばして、道を渡るのも大変で、しかも象が来るし。よく見るといたるところに兵士がいます。皆10代の若い兵士ですが眼光鋭く、ライフル銃を持っているのでおっかねー!橋を渡ったら兵士が川でマッパで水浴びをしていました、戦闘服とライフルを土手に置いたままです。
恐るべしスリランカ!考えたらつい先日まではパリにいたのです。あの美しいパリの街並み、セーヌ川はもう完全にすっ飛んで、もう道を聞くのも諦めて、これまた道端のバラックにイスとテーブルだけをおいた何屋か分からない飲食店に座り込みました。
さっきはコーラと頼んで失敗だったので、ビールにしました。また10円です。何もかもが10円!
しばらく途方に暮れていたら、俺の前を白人らしき兄ーちゃんが通るではないですか。カーキのTシャツでお前は傭兵か?みたいに筋骨隆々、どう見ても悪人で、腕のいれずみも見事でしたが、バスからここ、初めて会った白人で、今そいつを逃したら、俺は絶対にホテルにはたどり着けねえと、「おい、あんた!」と自分でもびっくりするような大声で呼び止めました。
めちゃ怖い感じで睨まれたのですが、間髪入れずに「俺は旅人で、道に迷ってて、ホテルに行きたいけど誰に聞いても言葉が通じなくて、自分がどこにいるかも分からなくて、死ぬほど疲れてて・・・ペラペラペラ」と一気に説明しました。
「あんた、タバコ持ってっか?」
さすが、この意味の解らない国の、わけのわからない街を、ただ一人外人として歩いているだけのことはある返事です。
ほらよと、パリで買ったイギリスの煙草の箱を渡しました。
1本取ると、口にくわえて
「火?」ときた。
「あのー、ホテルまでどうやって行けば?」
「三輪に乗れや」
「乗れてたら、行ってるわ」
「ははは」
「じゃなくて、どうやって乗るんだよ?」
そしたら、その兄ーちゃん、おもむろに振り向くと、「ぴーーーーー」と警笛みたいなでかい口笛を吹いたら、あっという間にどこからともなく、タイのトゥクトゥクみたいなのが来て止まりやがった。
「アリガッデム!」
俺の乗ったトゥクトゥクは幌もなくて、農作物を乗せるリヤカーを引っ付けた、ぺダルのついたバイクでした。
仕方なくというか他に選択肢はないので、俺はホテル名を告げ、値段を聞いたら50円!白人の兄ーちゃんの存在が効いていたのかも。
そして三輪に乗ることさらに小一時間!やっぱり、俺はどこにいたんだ?未だに謎です。
乗り心地悪い悪い。俺の真っ赤なスーツケースが邪魔ったらありません。パリは寒かったので上着を着ていたのですが、暑くて死にそうなので、どんどん脱いでタンクトップだけ。下は空港で履き替えた、ローブドシャンブル・コムデギャルソンのバカボンのパパみたいなペラペラの縞のハーパンにパリ帰りの革靴。
さっき飲んだビール?なんだかホッピーみたく強くて、酔っぱらってしまったので、時々ペダルを漕いでた亀みたいにのろいトゥクトゥクまがいの乗り物も、混乱した街も、夢の中みたく、どーでもよくなって、煙草を吸いながら鼻歌なんか歌ってました。
うーん、なんか入ってたのかも。
ついに、やっと、やっと、やっとホテルに着いたのでした。
空港からなんと5時間もかかりました。
そのホテルのなんとすげーこと。コロニアル様式の宮殿みたいなホテルでした(笑)
車寄せに入ったら、高級車やクラシックカーばかり。屋根もないようなボロい三輪で乗り付けたのは俺だけでした。
しかも俺はバカボンのパパの格好。白服が飛び出してきたので、日本のパスポートとアメックスカードを渡したら、突然最上の笑顔になったのでした。
いやだねぇー!
ロビーはめちゃくちゃ高い天井に、何故か自由に青い鳥が何羽も飛んでいて、『ようこそここへクッククックー♪』と、歌ってます。あの、青い鳥はなんだったのでしょう?
白服のアテンダントが俺について、通された部屋はなんとスイートルーム。
その後の人生で色んなところを旅行して、色んな所に泊まりましたが、ここまででーんと広い部屋は泊まったことがありません。部屋の一面全部がコロニアルな窓で、目の前がインド洋。西を向いているので、陽が傾いていました。
しかもコネクティングルームになっていて、一体何部屋あるんだか。
あり得ないので、先ず値段を確認したら約束通りに1泊2万ぽっきり。
部屋の隅には、真っ赤なカバン・・・真赤な真赤な真赤なカバン
ダバ・ダバ・ダバ・ダバ・ダッダバ・ダバ・ダバ・・・ご存知ですか?山本リンダの「真赤な鞄」
などど言っている場合ではなく、すぐにフロントを呼んで、
「とっても素晴らしいお部屋ですが、私は一人なのです。ここは、ちょーっと広すぎませんかい?」と、言ったら、
「何と謙虚な!いちばんいい部屋にアップグレードしたんだから、そんなことを言ってはいけません。Have a nice stay, Sir!」
と、明るく返されてしまった。
やっぱ、この国は意味わかんねーわ。
長々と書いてきましたが、これはですね、最初にカバンをびりびりに破られたところから始まった、わらしべ長者的な話を地で行ったのでした。
そのために、格安で買った帰りのチケットがビジネスクラスになり、混乱した空港でも特別待遇になり、さらにホテルの予約を航空会社に頼んだので、ビジネスクラスの客ということで、ホテルまでが最上級の部屋になったというわけです。
しかし、運がいいのか悪いのかは分かりません。第一スリランカに泊まるつもりはなかったのです。4泊もそんな宮殿みたいなところに1人でいると、アナと雪の女王のエルザみたいになってきます。
ちょっと例えが分かりませんね(笑)
凄い部屋でした。目の前の海に陽が沈むので、西日がもろに入ることから、毎日夕刻になるとスタッフが来て木製のブラインドを降ろすのですが、窓がいくつもあるのでそれだけで一仕事なんです。
現在のこのホテルのHPをみると、スーペリアとジュニアスイートだけになっていますが、ジュニアスイートが90平米なのですが、俺の泊まったのは30年前なのでスイートルームを2つに分けてジュニアスイートにしたのだと思います。
つまり180平米ということになります。嘘みたいですが、建物がコの字型になっているのですが右半分全部が俺の部屋でしたもん。
つぃでに、これは渡り廊下がファサードになっているレストランともう一つテラスのレストラン。
翌日はホテルと周りを散歩しましたが、3日目はコンシエルジュにコロンボ市街を観光したいと言ったら、早速、運転手が来て、色々案内してくれました。
運転手が、観光後に自分の家を見ていかないかというのです。え?と思いましたが、まあいいかなと乗っていたら、家族みんなで俺を待っていて、ご飯を出してくれました。観光っちゃ観光ですけど、運転手のご家庭で、ランチを食うってのも凄い話です。
スリランカ滞在中にいろんなスリランカ料理を食いましたが、なんせどれを食ってもカレーでした。でもそこのお宅で出てきた薄い煎餅のようなパンは美味しかった。タダ食いはいけないのでチップを上げなきゃと思って、10USDあげました。
そうしたら、運転手さん喜んじゃって、ホテルに帰る途中で、かわいこちゃんはどうだ?と聞くのです。キャバレーみたいなところか?と聞いたら、どうも違うので、その気にならないから要らないと断りました。そしたら、あーーー!とニターっと笑って、お客さんそっちの方もありますよー???というので、後ろから頭を叩いてやりました。
その夜は中秋でした。スリランカは仏教国で、満月の日はお祭りなのです。ホテルの前のビーチはお祭りのまっ最中。屋台が沢山出ていて、結局誰とも言葉は通じなく、よく分からないけど人が俺にアイスクリームとか揚げた何かをくれるんです。何故だろう?よく分からないまま10円あげました。
ホテルのレストランで飯を食おうと思ったのですが、もうカレーは嫌なので、魚料理はないかなと思い、もの凄く親切なオッチャンの給仕に、魚ある?と聞いたら、今日はツナがあると言われたので、じゃあツナのソテーと頼んだら、大げさではなく、マグロを縦に輪切りした洗面器くらいの切り身がカレー味で出てきました。
もうちょっとで、テーブルをひっくり返しそうになりましたが、我慢して食べようと試みたのですが、そんなもの、食えるか―!
ところで、そのレストランはビュッフェみたいになっていて、本当は自分で好きなように取るのでした。他の客が誰もいなかったので分からなかったのですが、後で気づきました。
俺がいつまで経っても自分で取りに行かないので、その親切なおっちゃんが、結局、本日のツナカレーを丸ごと持ってきてくれたのでした(笑)
それにしても、量が多すぎるでしょう!と言ったら、自分は鳥目だから、夜は何も見えないという、もの凄い斜め上な返事が返ってきました。
給仕無理じゃん?
もういい。紅茶とスイーツと言ったら、またまた巨大なケーキが出てきて、俺も学ばないなと非常に後悔しました。
さて紅茶は英国式に仰々しく大きなトレーで出てくるのです。
黙って見ていたら、紅茶を注いでくれて、ミルクを入れて、何も聞かずに砂糖を、1杯、2杯、3杯、4杯、5杯と入れるんです!しかも時々砂糖をこぼしちゃうのです。そのたびににこっと笑って鳥目だから夜は目が見えないと言うのです。
砂糖はもういらないよと言ったら、この方が美味しいから!と言われ、今度はスプーンで混ぜてくれるんですが、カップを持ち上げて、スプーンをぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・。
吹きだしてしまったのですが、何故だか、泣きそうになってしまいました。
4日目。一体何が壊れたらこんなに飛行機が直らないのでしょう???実はスリランカ国内で内戦が起きていたのでした。それで兵士が溢れていたのでした。もう出かけるのは止めてプールに一日いました。バーで酒を飲んで、またプールにもどり。部屋に帰ってベッドに横になって。
淋しいので、とうとう、パリでお土産に買ったブタのぬいぐるみを出して喋ってましたが、そのままブタを抱いて寝てしまいました。
人の気配がしてふと目覚めたら、ルームサービスが勝手に部屋に入って、ブラインドを降ろしていました。
「起こしましたか、サー?」
男が俺の方を微笑みながら見ていました。
そのサーは、寝ぼけたままブタのぬいぐるみを抱いています。
本来ならば、びっくり飛び起きる場面でしょうが、微笑みに守られるように、時間が止まってしまいました。
ブラインドの隙間から夕陽が差し込んでいました。潮騒が聞こえます。
返事もせずに、また眠ってしまいました。
今も夢の中でそのシーンが出てくるのです。そして、どういうわけか山口百恵の「横須賀サンセット・サンライズ」という曲が流れます。
あの日とおんなじあの場所で
もう一度夕陽見つめていたい・・・
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